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エストニアで自宅に招待

2009年07月31日 05:16

川邊さんの秘書のエリアさんが娘さんと一緒にドライブに誘ってくれました。
エリアさんと娘さん
エリアさん

バルト海沿いを車でドライブしながら、私達はエストニアについて沢山質問。

独立する前のロシア時代と大きく変わった事、それは「自由」だそうだ。
自由に車を持って、すきな時にどこにでも行ける。
海外旅行も出来る。そして、国自体が明るくなったとエリアさんは語ってくれた。

また4年前に日本に旅行した事があるエリアさん達に日本はどうだったと聞くと、
「とても美しかった」との答え。そしてびっくりした事は
・人の多さ
・日本人はきれい好きなこと
・畳の部屋での座椅子 (足はどこに置くのか?と迷ったらしい)
・トイレのウォッシュレット

日本にいると当たり前の事がやはり外国人には新鮮に感じる事を改めて感じた。


外国人が自分の国話をする時、殆どの人が
「俺の国はきれいなんだ。是非行くべきだよ!!ご飯も美味しいよ!!」などと絶賛する。
その点日本人は「京都はきれいだよ。でも東京は人が多すぎる・・・」とか
「日本は物価が高い国だよ」とか結構控えめな発言が多い気がする。
だからといって、日本人は日本を嫌いなわけではない。
もっと自信持って「日本はここがすごいんだ!!きれいなんだ!!是非旅行するべきだ」
「日本に行ったら日本のここを観て」と言うべきだと思う。

ドライブの後エリアさんの自宅に招待してもらい、家の中を案内された後
テーブルについた。
エストニア料理だよと言って出されたもの、それは
ケーキ

ん!??? ケーキの上にサーモンがのってる・・・
これ食べれるかなぁ??と不安に感じながら恐る恐る「これケーキ?」と聞くと
エリアさんと娘さんは笑いながら「ちがうよ、サンドウィッチだよ」

なーんだぁ 安心して一口食べてみると、“おいしいっ”
日本にはない味だけど、サーモンの刺身とパンがうまく調和していて 上品なサンドウィッチだった。

地元の人と話さないと、食べる事の無かった物 それが旅行では沢山ある。
食べ物一つにとっても地元の人とのコミュニケーションで幅が広がっていく。
やはり旅での『人との出会い』はとても楽しい。
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偶然の再会

2009年07月29日 06:11

以前モルドバのブログで書いたのだが、私達がエストニアに来た理由 
それは エストニア在住の日本人実業家 川邊さんに出会ったからだ。

いざエストニアについて、宿に荷物をおろしエストニアの首都タリンを散歩していると、
・・・びっくり!!!こんな偶然って!!
なんと川邊さんに 道でばったり再会した!!まさかモルドバ、そしてここタリンと2度も偶然会うなんて、これには明らかに何かの縁を感じた。

お茶に誘って頂き、色々な話をしていて知ったのだが、
川邊さんはエストニアでは知らない人がいないほどの有名人だった。
地元の新聞にも何度も掲載されている。

彼は「これからの時代はエストニアだ」と思い 無一文でエストニアに来て
日本で彼のビジネスに興味を持って投資してくれた人からのお金を元に、土地を買って
成功を収めたとのことだった。
しかもエストニアに来た当初 たった1人の女性の名刺しかもっておらず、
その名刺を頼りに、人脈を広げていき、そしてビジネスもどんどん成功していった。

彼のエストニアで成功するまでの道のりを聞いて、私達はなにか自分達にも出来る事はないだろうか?
私達がこれからビジネスをしていく上で 何が必要だろうか? 色々な事を語り合うきっかけとなり、
そして何かに挑戦してみたいという気持ちがどんどん大きくなっていった。

そして偶然は続くもので、
私達がエストニアに来た日は なんと5年に1度のエストニア歌と踊りの祭典だった。
本当についてる^^
エストニアの町並み
エストニア町並み1

エストニア町並み2

エストニア町並み3

エストニア町並み4

民族衣装をきた人達
民族衣装1

民族衣装2

民族衣装3

民族衣装4

町中にエストニアの民族衣装をきた人たちがいて、オールドタウンの中は 絵本の中にいるようだ。
お祭りのテンションも加わってか、みんな何してても楽しそうで、私達まで楽しくなってくる^^

もう一つエストニアで楽しみにしていた事、それは白夜
夜10時でもこんなに明るいんです
夜10時

夜12時30にやっと夜景
エストニア夜景

夜中1時30にはもううっすら明るくなってくる
夜中1時

そしてこの国、人が親切。旅行会社に行っても、マクドナルドに行っても、どこに行っても
最後に一声掛けてくれる。「楽しい休日を」や「旅行無事出来るように祈ってるよ」だったり、
「またいつでも来てね」この一言で気分がぜんぜん違う。
また来たいなと思わせてくれるし、居心地がいい国だなぁと思える。

ヨーロッパに入りアジア人であることへの差別や、完全によそ者的な感覚を受ける事が、時々あったが
この国ではそれを殆ど感じなかった。
もちろんそこに住んで、もっと深く知れば そういう部分も見えてくるかも知れない。
ただ私達が滞在している間には一度もその感覚を受けなかった。
その心地よさも加わってか、私達はここエストニアに1週間も滞在した。
エストニアに来るまでは エストニアってどこ?ロシアから独立した暗いイメージの国、
と思っていたが いい意味で予想を裏切ってくれた。

世界遺産の町並みが・・・

2009年07月24日 04:43

突然予定ルートを変更した私達は、クラクフから夜行列車でポーランドの首都ワルシャワへ。
そこで1日ワルシャワを観光したら、その日の夜行バスでラトビアへ。
ブログ用地図

2日連続の夜の移動の疲れが溜まったのか、ラトビアの町を観光しても
正直楽しくない

ラトビアの首都リガーは町自体が世界遺産に登録されている、古き良き素敵な町だ。

リガーの町並み
IMG_7409.jpg

しかし最近ほぼ毎日のように 世界遺産の石畳が広がる素敵な町並みを見てきたせいか、
どこも同じに見えて、飽きてしまった気がする。

なんと贅沢な悩みなんだろう・・・
日本で応援してくれてる家族や友人が聞いたら、怒るかもしれない><

とにかくこのままじゃ駄目だと思い 一度宿に戻って 休憩することにした。
私達は今日は14人ドミ(14人の共同部屋)に宿をとっていたのだが、
宿に戻ってみると私達2人以外にお客はいなかった。

私達の泊まったホテル
IMG_7392.jpg

部屋をダブルルームのように占領して、ゆっくり休みもう一度リガーの町に出てみると、
疲れもとれた私は今度は「きれいな町だねぇ!!」と連呼^^

IMG_7446.jpg

やっぱり疲れは溜めちゃ駄目ですね^^素敵なものが素敵に感じなくなってしまう。
ヨーロッパに入り、なんとか節約しながら 沢山の物をみようとがんばってしまっていたが、
それよりも常に心地よいと思える環境で自分のペースで旅を楽しまなくちゃと感じた。

そしてこの町 緯度が高い為この時期PM11:00でもまだ真っ暗にはならない。
なんだか1日が2倍になったようで得した気分だ!!

夜10:00の夕日
IMG_7490.jpg

夜10:30の夕焼け
IMG_7613.jpg

夜11時でもまだ明るいリガーの町
IMG_7559.jpg

夜12:30 やっと暗くなりライトアップ
IMG_7594.jpg

もっと北に位置するエストニアは何時に暗くなるんだろう??
明日はエストニアに向かう、早く寝なくちゃ^^
でももう明るいから眠れない・・・!?現在AM2:00

アウッシュビッツ強制収容所

2009年07月20日 07:20

ウクライナからまたも夜行バスに揺られてポーランド入国。
ヨーロッパは宿代が高いので夜行バスを使って宿代を浮かせている為、
最近は3日に一回はバスの中で夜を過ごしている。
正直少し疲れ気味だ・・・

ポーランドに来たら必ず行きたかった場所“アウッシュビッツ強制収容所”

アウッシュビッツの正門に掲げられた皮肉なプレート
「働けば自由になれる」働けば自由

働けば自由2

よく見てもらうと解るように アルファベットの「B」の文字が逆さまになっている。
これは強制労働でこのゲートを作らされた囚人達が抵抗の意味を込めて逆さまにしたと言われている。

ここに送られてきたユダヤ人達は何を思いこの門をくぐったのだろう。
映画でよく見ていた門を実際に目の前にした時、
アウッシュビッツに来た事にワクワクしていた私の気分は沈んでいった。

ここは大虐殺が行われた当時のまま残されている。
レンガ造りのバラック(ベットのようなもの)にわらを敷いて寝ていた。しかも1つに何人も収容されていた。
レンガ造りのバラック
レンガバラック

死の壁
ここでは数千人の囚人達が射殺された
死の壁

死の壁に向かって左側にある建物の窓には木の板が取り付けられており、
そこで行われていた死刑執行を見せない為の措置だった。
いくら見えなくても発砲の音は聞こえたはず、囚人達は恐怖に怯えた事だろう。

アウッシュビッツは1940年に設立されたということは、まだ70年経っていないことになる。
死の壁に沢山捧げられた花やろうそくは、遺族の悲痛の悲しみや怒りを表しているようだった。

ガス室
このガス室には1度に2,000人が押し込まれ、15分から20分の間にすべての人が殺された。
ガス室

囚人達は収容所に送られてきた日に収容所管理局長から
「お前達に出口は一つしかない。焼却炉の煙突だ。」と言われた。

なんの罪も犯していない、ただユダヤ人というだけで収容され 殺された。
こんな理不尽なことが、本当に過去におきてしまった。
その事実を目の前にして私は言葉が出なかった。

このブログも書こう書こうと思いながらも、何を書いたらいいのか、どう表現したらいいのか
解らず、なかなか進まなかった。
ただ1つ確実に言える事、アウッシュビッツ収容所に行ってよかった。

歴史の中でしか知らなかった世界を実際に行ってみて感じて、考えさせられることが沢山あった。
映画などで何度も見ているが、どこか遠い国の昔の話のような気がしていた私だが、
実際に訪れて、改めて残酷さ そして人間の犯した罪の重さを感じる事が出来たと思う。

芸術の町 リヴィヴ

2009年07月09日 20:52

モルドバからバスに揺られる事16時間、ウクライナのリヴィヴに到着。
リヴィブにはバス停が8つもある為、私達はどこのバス停に到着したのかが解らず、
街の中心まで行く方法を知りたいものの、さっぱり英語が通じない

途方にくれている私達の前をバックパックを背負った若者が通った。
“彼なら中心部への行き方を知っているかも”と思い声を掛けると

なんと彼も中心部に向かうところなので、一緒に連れていてくれると言ってくれた。
彼に連れられ路面電車に乗り中心部に到着すると、彼は一緒に私達の宿を探してくれた!!
もう本当にこの親切に感動!!

彼の名前はロースティック。フォークソングのミュージシャンで
ここリヴィヴに友達と一緒にアパート暮らしをしている。
旅行者だと思って声を掛けたのだが、彼は実家に行った帰りだったらしく、彼が背負っている
バックパックからは大量の野菜が出てきた^^

こんな感じでウクライナ初日から出だし好調にスタートした^^

そしてリヴィヴ到着してみてびっくり。
ソ連崩壊後に出来た国なので暗いイメージを持っていた私だが、その想像は大きく崩れた。
街自体が世界遺産に登録されているここリヴィヴはお洒落で、そして芸術の町だった。

ウクライナ1

ウクライナ2

道端で楽器を演奏していたり
道で楽器

絵を描いている学生がいたり
絵をかく

そしてお洒落なカフェや路地が続いている。
ウクライナカフェ

ウクライナかふぇ2

ウクライナかふぇ3

ウクライナカフェ4

時にはこんな光景も^^
チュー

チュー2

そして夜も素敵
ウクライナ夜景

こんな素敵なリヴィヴの街 ちょっと住んでみたいかも^^

未承認国家 ドニエストル共和国

2009年07月06日 02:09

モルドバの東部にドニエストル共和国という未承認国家がある。
この国 世界は認めていないのに独立を宣言し、なんと独自の通貨まで造ってしまった。
この国の事を旅人から聞いた時
「ふざけた国だなぁ。でもまぁ面白そうだから行ってみようかな」というのが私の気持ちだった。

しかし実際に行く事にして、インターネットでこの国の事を調べてみると、
ソ連が崩壊してモルドバが独立した際、そこに住んでいたルーマニア人とロシア人による民族問題、
電力供給の重要地帯の為モルドバが独立を求めず戦闘になったりと複雑な問題が山積みのようだ。

未承認国家と言えどもしっかり国境での入国審査もある。
私達は国境の職員にワイロを要求されたものの、「お金持ってない」と言い張りなんとか入国出来た。
こんな事もあるだろうと思い、本当に現地での生活費(1000円分)のみしか持って行かなかったんです^^

ドニエストル共和国の国旗
国旗ドニエストル

そしてこれが独自の通貨
お金ドニエストル

この通貨この国を1歩出たらただの紙切れ・・・


ソビエト連邦第2代最高指導者のスターリンを、全世界的な英雄として讃えるなど、
1940年代から1960年代のソビエト連邦のような統治体制が敷かれている。
街のスーパーの壁にも前ロシア大統領の写真が貼られていたりとやはりこの国はロシアよりなのだろう。
ロシア大統領

ただこの国行ってみると、市場やスーパーに物があり、舗装された広い道路や街路樹があり、
世界が認めてないとは思えないようなきれいな国だ。
もちろん他のヨーロッパ諸国と比べたらお金のある国には決して見えないですけどね。
ドニエストル共和国の町並み
道並みドニエストル

市場
市場ドニエストル
 
街を散歩していると遠くの方に川が見えてきた。
人だかりがあるため行ってみると河川沿いはビーチになっていた。
スタイル抜群のきれいな女の人がみんなビキニ姿でビーチを楽しんでいた。
やはりこの国もモルドバと一緒でモデルのような女の人が沢山いる。その上水着ときたら
男性旅行者にはパラダイスかもしれない^^
川水浴

川水浴1

川水浴2

ちょっと不思議な国ドニエストル共和国。行くまでは存在すら知らなかったが この国を知る事により
ソ連独立の後にまだ解決していない民族問題や政治体制の問題など色々知る“きっかけ”となった。
歴史を知るとその国の見方が変わってくる。
まだまだ勉強不足の私だけど、人との出会いや観光だけでなくその国の歴史も知っていきたいと思う。


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